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石井みどり・折田克子先生の事、合気道の事など

時々、ふと人生を振り返って、かつてご縁のあった人を思い出してネット検索する事がある。
今時、多くの人が行っていることだろう。

かれこれ40年ほど前になるが「石井みどり・折田克子舞踏研究所」で稽古させて頂いた。
習っていたのは1年半か2年弱くらいだったと思うが、正確ではないかもしれない。

短い時間では有ったが自分も若くてピュアーだったし貴重な時間を過ごした時期だった。

その頃、同時に合気道にも出逢っていた時期でもあり、次第に舞踏よりは合気道の方に夢中になっていった。

合気道はその後2段を取得、関連性のある東洋医学・鍼灸の勉強を始め、自分自身の心身鍛練も気功の方にシフトしていった。
自分自身の最低限のトレーニングとして気功は続けているが、演劇や舞踏などの舞台はほとんど見ることは無くなっていった。

どうやら表現行為よりもトレーニングの方が自分の好みのようだ。
ということで、すっかりご無沙汰してしまっている。

さて、お二人とも現代舞踏の世界では圧倒的な存在感で有名な方々だが、残念ながら一般的にはあまり知られていないようだ。

改めてネットからお二人のプロフィールをまとめてみる。

石井みどり 1913-2008

 
「日本現代舞踊のパイオニア石井漠の愛弟子であり、戦前・戦中・戦後を通して日本の創作舞踊界を牽引した。戦後,娘の折田克子と舞踊研究所を設立して創作・公演活動をつづけた。S37年芸術選奨。S52年紫綬褒章、S59年勲四等宝冠章 S63年現代舞踊協会会長 平成20年3月6日死去。94歳。 」

折田克子  1937~

「舞踊家石井みどりと、作曲家・バイオリニストである折田泉を両親に持ち、5才頃から舞台に立ち、若干11歳で日比谷公会堂において初リサイタルを開く。
その作品及び舞踊の質の高さ、芸術性は常に注目され、3度の文部大臣賞を初め各種の賞を多数受賞。
1997年12月新国立劇場オープニング記念公演 マスターワークス『梟の唄』(新国立劇場オペラ劇場)振付・出演、2003年には紫綬褒章を受章している。
舞踊界だけでなく音楽、演劇界にも影響を与え、 その活動は欧米をはじめ、東南アジア、中近東にも及び、 「東洋と西洋を融和する超自然表現」、「ストライキング・パワフル」等と高く評価されている。 現在、社団法人現代舞踊協会常務理事」

経歴だけでなくて実力もピカイチで本物、偉ぶったところは全くなく、とても気さくな方々だった。

モダンダンスという西洋的なトレーニングを行っているのも関わらず、お二人の動きは、合気道と通じるような、とても東洋的でナチュラルなものだった。

当時の印象としては、立っているだけ、歩くだけで  爽やかな風が吹くような、しかも圧倒的な存在感のあるみどり先生・・・・当時で60才少し過ぎていたくらい。

枯れた感じと言えば失礼かもしれないが・・・・・・・洋舞でありながら能に通じるような日本的なワビサビを感じさせる方だった。

克子先生は当時30代半ば、キュートな妖精のようでありながら、ダイナミックでシャープな切れ味の動きが素晴らしかった。
大変なテクニシャンというだけでは足らない、空間を突き抜けるような伸びやかさ・美しさには不思議な透明感を感じた。
「踊るために生まれてきた」という言葉がぴったり当てはまる人だった  。

自分が合気道を習っているときに一番好きだったのが山口清吾という先生だった。
この先生も本を書いたりマスコミに出たりと言うことはほとんど無かったが、知る人ぞ知る達人だった。

自然体でスッと立った姿が美しく、一見すると武術家には見えない細身の身体から繰り出される見事な切れ味の技・体裁きと丹田力は舞踏的・芸術的でもあった。

武術と言うことで言えばもっと強い武術家はいるかもしれないが、柔らかさ、しなやかさの中に強さと美がある希有な方だった。
武道家然としたところもほとんど無く、飄々とした不思議な先生だった。

(ちなみに古武術の甲野さん、気流法の坪井先生、鹿島神流の稲葉先生の合気道時代の先生が山口先生だった。
自分が稽古している頃、甲野さんは、山口先生に影のように付き従って、先生の受けを取ったり、稽古後は山口先生の袴をたたんだりしていた。先生もユニークな甲野さんを可愛がっていたが、最後は限度を超えたのか、破門という形になった。
「甲野は若い連中をたぶらかしている」とおっしゃっていた、と聞いている。)

山口先生の技は決して派手な技ではなかった。
たとえて言えばある意味で水墨画のようなシンプルな技といえるかもしれない。
その深さ・面白さが少しづつ分かり始めてきたのは、実は初段を取った頃からだった。
やはり自分のレベルによって「見る力」も変わってくるのだと思う。

山口先生は(確か小野派)一刀流の達人でもあった。
多彩で自在な技は実はシンプルな一刀流の理合に統合されたものだ。
一例をあげると、それは脱力から生みだされる、重さを生かした上段からの強力な剣の切り落としに集約されていた。
ズーンと感じる重さを生み出す、美しく、切れ味の良いその動きは丹田から生まれ、そして丹田に集約されている。
また、山口先生の稽古は丹田力を養う優れたエクササイズでもあった。
それはとてもワクワクする稽古であった。

ジャンルは異なるが、3人とも達人レベルの身体使いの方々で、自分の中ではとてもイメージが重なってきてしまう。

ネットで探すといくつか資料が見つかった。

あらためて調べてみても、やはり自分の感じた感覚は間違っていなかったと思う。

★「よく生きるとは、よく動くこと」  石井みどり  草思社  2004年

舞踏歴74年、91才の現役舞踏家の語る、身体で教えてきた体験的人生論。

前半は石井漠先生の思い出や当時の舞台のこと、戦中戦後の慰問・巡業の話。
後半では、最小限で最大限の効果をあげる体の使い方の話と実体験に基づいた教育論・指導論。

合気道や気功の体の使い方・意識の使い方と共通することも多く興味深かった。
やはり、当時自分が受けた印象は間違ってはいなかった。
いくつか抜粋してみると

「心身の調和をはかることがなによりも大事です。頭でばかり考えておりますと、身体がついていかず、その瞬間にいきいきとした表現が生まれてこないということです。」

「力を抜いて、自然で楽な状態でいて、何かやりたいという気持ち、動機が出てくると、それによって動きが生まれてくる。
これが本来の踊りだと考えております。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まず無心になること。素直な気持ちで、理屈ではなく存在するものを愛情と尊敬を持って受け入れる。そういう踊りのお稽古の習慣をつけていくと、・・・・スーッと入ってくるようになります。」

「西洋の踊りは、三拍子であれば「1.2.3.」の1から、つまり頭から動きます。
それに対して、私の踊りは「1.2.3」と次の「1.2.3」の間の一瞬の「溜め」から動きます。
「盗み音」がある。つまりリズムの裏を生かすというか、「動中の静」というか、非常に日本的の伝統的なリズムの取り方なのです」

・S31年から7年間、車4台(バスを含み、洗濯機まで積み込んでいたらしい)、オートバイ数台の大世帯で全国縦断1万回の公演をこなした話や

・舞踏団で多くの団員と共に生活していた克子先生は小学校に入るまで、みどり先生が母親と言うことを知らずに先生と思い込んでいた、という話も驚かされる。

みどり先生も90才を過ぎて、記憶も衰えてなくて頭脳明晰なのは凄い。

この本と下の本のインタビューの後、亡くなられた、と言うことですね・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・謹んでご冥福をお祈り申し上げます。m(_ _)m

★「踊る人にきく 」日本の洋舞を築いた人たち  [編著]山野博大  2014 4月  三元社

「帝劇誕生に始まる日本のダンス史 100 年を伝える踊り手たちのオーラル・ヒストリー 」

お二人のインタービュー記事が載っている。

・おどりおどらす親子のきずな/石井みどり×折田克子  173
      コラム 日本の現代舞踊を牽引した母と娘/立木燁子  187

「あなたは私の傀儡になってはいけません、あなたがしたいことを見つけること」
と徹底して克子先生に言っていたそうで、お二人の作風は全く異なるそうです。

石井獏が山田耕筰と一緒に現代舞踏を作っていたので音楽に対する理解はとても深く、驚くことに当時既にエリックサティの曲を使っていたらしい。

みどり先生もドビュッシーの「アナカプリの丘」やスペインの作曲家マニュエル・デ・ファリアの曲を使ったり、克子先生も、カルロスチャペス 「打楽器による3章」を使ったとか。

かなりの専門家でないと知らない曲・作曲家で、このあたりは驚かされた。

{そうそう、当時一度、克子先生に灰野さんの作った曲を聴いてもらったことがある。
「スゴイ!!」と驚いていた。
克子先生は音楽の勉強もされていたようだったが、こういう変わった音楽を毛嫌いしない所も素晴らしい。
聞いてもらったのは、当時は「マグマ」と言っていたが、その後「魂の純愛」という4枚組BOX  ディスク2の11曲目「地底の神々と美意識の密約」という曲名で収録された。現在廃盤。}

★「大河にコップ1杯の水  第1集」

空手家・宇城憲治対談集
季刊雑誌「道」に連載された8人のインタービュー記事をまとめたモノ。

・現代舞踊家     石井みどり  言葉でなく、心と身体で学ぶ 

みどり先生が合気道の植芝盛平先生とお会いになったときの話や石井獏の踊りの作り方の話が面白い。

「植芝先生を母に紹介した剣道の先生が言ったのです.。
母の踊りにはどこにも力みがない、だけど隙がない、と」

「母だけですね、心、身体のトータルな動きに対する話ができるのは」(克子先生)

空手家の宇城先生曰く
「まさに現代舞踏のお話を聞きながら、武道の話を聞いているようですね」

この本には偶然にアメリカで活躍している早乙女貢先生が出ていてビックリ。
早乙女先生も山口清吾先生のお弟子さんで、本部道場で短期間だが習ったことがある。
習ったのはやはり40年前だから、今の写真見ても最初は分からなかった・・・・・白髪になってるし・・ひげもはやしている・・・・
昔、クレニオ・セイクラルのアメリカ人インストラクターがアメリカの早乙女先生の元で合気道を習っている、ということで、ご希望の本部道場見学に案内したこともあった。

★季刊 「道」165号

折田克子  インタビュー記事
「感じて動く  日本人の感性を踊りに込めて」

前回のインタービューや本で不足している部分を補うように、みどり先生、克子先生の哲学が語られる。

「(母は) あきらめる、ということがない、とことんやりきる人でした。踊りと言うよりは人間の科学のようなことを考えた人でした。すなわち、自分の身体というものをどう動かすかということをすごく研究した人です」

「踊りは歩きにはじまり、歩きに終わる」

「上半身は絶対に自由でなければいけない。そのためにも足腰を鍛えなければならない。」

「練習の中では中心をどこにとるかと言うことをすごく研究していた。」

「日本の芸能は間の呼吸で踊る。そういう違いが日本の良さ。日本人の持っている大事な感性は世界にないもの」

「重さは重量じゃなくてエネルギー」

語られる内容は、恐ろしく合気道などの動き・哲学と共通することが多く、今更ながら驚く。

「(習ったのではなくて)私の人生は踊りから始まった」

「なんでも真剣にやれば失敗にならない。・・・・・一生懸命ではなくて真剣でないとダメ」

「こういう世界は許容と繊細がなければならない。その許容と繊細がその人の器になる」

あらためて知る、克子先生の厳しさも多く語られている。

克子先生は去年(2013年)に「舞踊生活70周年記念公演」をやっていたようだが、残念ながら舞台情報とかほとんどチェックしないので知らずにいて見逃してしまった。

ユーチューブにも残念ながらお二人の映像は見当たらなかった。
モダンダンスの世界の底辺が小さいのか、ネットをやってる人が少ないのか・・・・・
ネットでの情報も極めて少ない・・・・・・・・・・

克子先生の全盛期の良い時期の舞台を見ていないのが残念だけど・・・・・・まだこれから機会があるかな・・・

同時期に同舞踏研究所の稽古場にいた、仲野惠子さんも立派な舞踏家として独り立ちしてで活躍しているらしい。
よく休憩の時にカップラーメン食べていたのを覚えている。

追加

山口先生64才頃の表演

追記
折田克子先生、2018年10月5日に亡くなられたそうです。
謹んでご冥福をお祈りします。合掌

 

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コメント

初めまして。石井・折田門下の土岐と申します。

ブログで、詳しく先生方の経歴、人となりなどを紹介して下さっているのを知って、とても嬉しく拝読させていただきました。

克子先生に、12月に入りブログをお教えしましたところ、やはり喜ばれまして、ぜひ村山様にお目にかかりたいとおっしゃっております。
ご多忙の事とは存じますが、克子先生か私にご連絡いただけましたら、幸いです。

先生の(スタジオの)電話番号は03(3952)1213 です。先生は携帯電話をお持ちにならないので、メールはありません。私は上記にPCメールを表記させていただきました。 どうぞよろしくお願いいたします。

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